九州メタル産業 50年の歩み
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初代2代目 当社の主要設備であるシュレッダーは、1975年2月に小倉営業所にて工事に着工し、同年12月に運転を開始しました。当時、2,000馬力のシュレッダーを保有している施設は日本でも数えるほどでした。代表取締役 高木 茂輔代表取締役 隅丸 次郎本社工場建設本社工場建設中 当社は、オイルショック(1972年から第1次、1979年から第2次)やニクソンショックなど日本経済が狂乱物価にある中、九州地区における廃車処理事業の拡大を予測し、1972年5月10日に西日本鉄道株式会社の100%出資会社として設立され歩み始めました。(資本金1千万円) 設立当時の社名は「株式会社九州メタルスクラップ」、本社所在地は福岡市中央区天神でした。 営業拠点として、創業年に福岡営業所(福岡市博多区榎田)及び久留米営業所(久留米市国分町白川)、翌年には、小倉営業所(北九州市小倉北区西港町)を開設し使用済み自動車の集荷を開始します。1974年には久留米営業所を鳥栖市永吉に移転して鳥栖営業所と改称し、現在に至っています。1975年には北九州市小倉北区西港町に本社屋が完成し本社を福岡市から北九州市に移転しました。初代シュレッダー組み立て初代シュレッダープラント完成本社屋完成 この10年の間、オイルショックをきっかけに社会はモーダルシフトが加速したものの、自家用車の普及に伴って当社が取り扱う使用済み自動車の台数も増加し事業は拡大しました。また、株式会社トーメン及び福岡県自動車販売店加盟34社が資本参加する等、事業の拡大に合わせて増資を重ね資本金は4億5千万円となりました。3代目4代目5代目6代目代表取締役 川崎 博久代表取締役 明石 博義代表取締役 有田 輝彦代表取締役 瀧 洋之介初代シュレッダー完成1972〜1975〜 高度経済成長に伴う工業化の過程で発生した公害や急速に普及したプラスチック製品の廃棄などが社会問題となる中、我が国における廃棄物処理の基本体制は、1970年の第64回臨時国会(通称:公害国会)にて、廃掃法を全面的に改正し、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法)にて定められました。1983〜1988〜1989〜1991〜 この時代の日本では1985年のプラザ合意に端を発し、1987年12月から1991年2月までバブル経済という空前の好景気に沸きました。1989年には消費税が導入され、当時の消費税率は3%でした。また、ペットボトルが普及したのもこの時代でした。 好景気に沸く国内とは逆に、鉄鋼業界では円高不況が続き電炉メーカーの自主減産と、同業者の設備更新によ50年の歩み創業〜19811982〜1991

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