九州メタル産業 50年の歩み
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増設した1,250tのギロチンシャー固化機プラント1997〜代表取締役古賀 愛紹7代目固化製品※1…廃棄物処理者が、金属類を含む廃棄物を価値あるもの(有価物)とみなすものの、金属価格が下がってしまい処理や運賃などの必要経費を下回ってしまうため不足相当額を請求することる生産能力増強によりスクラップ価格は下落の一途をたどります。この時代の後半には、全国的にもスクラップ処理費の負担を発生先に求める「逆有償化(※1)」の動きが広まりました。 当社においても生産力の増強を図ります。シュレッダーで破砕する前工程として、粗破砕するプレシュレッダーを1984年に本社工場に設置し、大きなものや高気密なものを効率的に処理し、爆発を防止するなどシュレッダーを安全に安定的に稼働させ量産体制を築きました。また、販売する製品においてもシュレッダーで破砕した鉄スクラップだけでなく、鉄筋や鋼管等のスクラップにも力を入れるため、1990年に1,250tのギロチンシャーを増設しました。 このような取り組みと景気の下支えにより、販売数量は増加し、当社は年間15万トンを超えるリサイクル原料を供給するようになりました。  事務部門においても大きな変化が起こります。1983年にインターネットが誕生すると通信技術が急速に進展しネットワークの基盤が構築され、通信技術と情報処理技術による相乗効果は社会全体を更なる情報化へと導いていきました。当社においても1984年には、事務部門にコンピューターを導入し事務処理のスピードアップと効率化が一段と進みました。 また、CI(corporate identity)など企業イメージやメッセージの重要性がクローズアップされた時代でもあり、当社においても1986年に社名を「九州メタル産業株式会社」に変更し、更なる飛躍を誓いました。新社名は、スクラップというイメージを払拭し、産業全般におけるリサイクル事業の展開を目指していくことを表し、その姿をステークホルダーへ発信するとともに従業員が価値観を共有することを目指しました。 好景気に沸いたバブル経済が1991年初頭に終焉を迎え、1995年には消費税率が5%に引き上げられ、立ち直りつつあった景気が再び後退します。いわゆる「失われた20年」が始まった時代でもありました。そして、この時代の後半には、日本経済はデフレーションへと突入していきます。 「エコロジー」や「地球にやさしい」という言葉が浸透し、市民生活でも「環境」というキーワードが意識されるようになったのもこの時代でした。 1997年には廃棄物処理法の改正によってマニフェスト制度が義務づけられたほか、2000年には循環型社会の形成を推進するために「循環型推進基本法」(循環基本法)が制定され、3R(Reduce、Reuse、Recycle)の推進が叫ばれるなど官民が一体となってリサイクルシステムの構築に邁進していきました。その後、天然資源の消費抑制や環境負荷の低減を目指して、リサイクル技術の開発や再生利用への取り組みが本格的に進展していきます。 当社においても、シュレッダーダストを処分する場合、北九州市では固形化した水沈下が条件とされたため、急遽ダスト減容化プラントを立ち上げるなど適切な処理ができるよう取り組みました。 バブル崩壊の影響は当社においても避けられず、大手電炉メーカーが淘汰されるなどスクラップ価格が暴落し業績は低迷しました。 厳しい経営環境の中、当社は業績の維持、回復、向上を1992〜200108

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